あなたは夢、あなたは光

ブログ名は戸塚さんの言葉「僕は夢、僕は光」を私目線に置き換えたものです。guerrilla loveさん観測所です。主に戸塚祥太さんの舞台の観劇記録を書いています。愛が重いこと分かってる

舞台『BACKBEAT 2026 FINAL』観劇記録

観劇日


5月9日 昼 東京@EXシアター六本木

5月9日 夜 同上

5月24日 大千穐楽 神戸@兵庫芸術文化センター

 

舞台「BACKBEAT(バックビート)」公式サイト


ビートルズ来日60年の今年、BACKBEAT再々演!

同じキャストで再々演が叶うってすごいなあ。

私は初演観れていないので、同じ作品の再演を観劇するのは初めての経験でした。正直…楽しめるのか?はかなり不安でした。23年の再演当時、私はそれこそビートルズに陶酔していたクラウスのように、バクビに狂いまくっていたし、大楽で一度燃え尽きた(出てもねえのにw)のもあって、また真っさらなモチベーションで観れるのだろうか…と思ってた、ん、ですが!完全に杞憂でした。めちゃくちゃ楽しかったです!音楽ってやっぱ最高!

再演と比べると、キャストのみなさんも当然年齢を重ねているなかで、また17〜18の青年を演じるわけなんですが、それぞれのキャラクターや関係性の解像度がグンと上がっていて驚いた。セリフや演出はほとんど変わっていないんですが、抑揚の付け方とか細かい目線の配り方とか仕草でこんなに変わるのか!と新しい発見の連続でした。ファイナルにして、これまででいちばん"18歳(17歳)"だった感じ!!

ストーリーとは直接関係ないところ、たとえばセリフのない行間や誰かがセリフを言っているシーンの背景となっているところで全員が全員ずっとその"役として生きてる"。その瞬間瞬間を生きてるから、公演ごとにも当然のように変わる、本当に生モノだった。

 


たとえばポールってスチュのことマジで嫌いなんだなwwってムーブ一生してるからセリフないのにめちゃくちゃ伝わってくる。トップ・テン・クラブに昇格することをジョンがメンバーに伝えるシーンで、わざとスチュに「もうお前は(カイザーケラーには)出演しなくていい」って言った時、ポールが言葉通り受け取ってうしろでウンウン頷いてたの笑ったな〜。マジで嫌いじゃんww もちろんここのシーンだけじゃないから、終盤の「嬉しいんだよ、アイツが辞めてくれて」のセリフの説得力が格段に増してた。

 


前回に引き続き私はピート推しなんですが、今回も上口さんのピート、素晴らしかったですね…!自信満々で、いつもどこかみんなを見下していて、悪ふざけにも迎合しない、自分の信念を貫き通したゆえにビートルズを去らざるを得なかった男。特に印象的なシーンで言うと、最後の怒りのドラムソロ。再演時よりもたっぷりと間を取っていたというか、完全にピートに委ねられていたのもあって、ピートの怒り、悔しさ、悲しさ、やるせなさ…直前の「バスドラから力もらってさ」を体現するシーン。震える手でスネアにスティックを添えるから、ビリビリと音を立てていたのがどうにも胸を締め付けられた。渾身の力を込めたバスドラで自らを奮い立たせるようにビートを刻み、ビートルズという船から降りていった。

 


今回は末っ子ジョージちゃんとピートの軋轢みたいなものがより分かりやすく描かれていた印象です。意見の食い違いが起こっているようなさまがステージの中央上側で見られたり(前回は下手側の端でやりとりしていた)、ジョージの年齢が原因で強制送還になったシーンでは、ピートの"俺たちは悪くないのにコイツのせいで!"が態度や言動で全面に出ていた。

ジョージちゃんがグループに愛され、大事にされていたことが今回とてもよく伝わったのは、言うまでもなく辰巳ジョージの細かいお芝居のおかげ。ご本人も大楽後の加藤さんのニコ生ラジオで言ってたけど、ジョージってマジで全員に気遣って動いてるんだって。アストリッドが撮ったビートルズの写真を初めてみんなで見るっていうシーンで、捨てゼリフ吐いて去っていったジョンを諌めつつ、ピートにカバーをお願いしつつ、アストリッドにごめんねって謝りつつ、ジョンを追いかけていく、っていうほんの一瞬に詰め込んでるって言っててめちゃくちゃ感心したし納得した。

ちょっとした言い争いにも絶対止めに入ってるのがジョージだったし、スチュがラブミーテンダーを歌うシーンでは完全に中立の立場にいて、ジョンに弾くのを促されたのに応じながら、ピートとポールに2コーラス目から入ろうぜ!ってアイコンタクト。ジョージがそう言うなら…みたいに渋々演奏に入っていくのとか、普段からそうやってみんなのバランスをとってくれていたのが分かるからこそのあのシーンだった。辰巳ジョージがすごいのは、たぶんってか絶対そんなこと台本に書いてないってところ!ジョージを"生きる"にあたって自然発生的に生まれた言動や仕草が多かったんだろうと思う。辰巳くんがジョージで本当に良かった。

 


加藤さんのジョン。荒々しくて激しくて、ブラックな冗談や強い言葉ばかり使うからめちゃくちゃ分かりにくいんだけど、実は繊細なジョンを今回もとても魅力的に演じていた。スチュを中心にすると、ジョンとアストリッドが彼を取り合い対立しているような構造に見えるけれど、ジョンを客観的に冷静に俯瞰して見て、理解していたのが実はアストリッドだったのかも知れないなと思う。夜の海のシーンほんとに良いよね。それまでは一緒に演奏していてもスチュの気持ちが本当は一体どこにあるのか分からなくて、焦りから強い言葉で何とかバンドに繋ぎ止めていたのが、あの夜の海で、暗闇からスチュが現れた瞬間にすべてを悟って、これまでガチガチにジョンを守ってきた鎧みたいなものが全部崩れ落ちた。スチュという天才を自分の手元に置いておきたいと強く願っていたジョンが、アストリッドに託す。スチュといちばん穏やかに話せたのが、彼との決別をしたあの夜っていうのが切ない。

思い返せばジョンの悪趣味なジョークに毎回笑っていたのはスチュだけだったし、実はジョンに煙草を教えたのはスチュだったんじゃないか…?と思うし、ハンブルクで女の子と遊ぶのも、ドラッグをやるのもいつも一緒。絵の才能があることも、ベースが上手くないことも本当は分かっていたけど、それでも一緒にいたかった、上を目指したかったんだよな…

 


それぞれのキャラクターの解像度が上がれば上がるほど私はアストリッドの良さがわかんなくなっちゃったんだよな〜笑 強くて才能ある聡明な女性っていう描き方をされているけれど、意外と言ってること芯食ってないよな?ってなるというか…朝チュンでクラウスと鉢合わせるシーンほんとびっくりした、「あなたが出逢わせたのよ」って言ったのかと思った(言った)

それでもスチュがアートの世界を選んで留まらせたのはアストリッドの影響が大きかったのだと思うし、ジョン(外の世界)との橋渡しをしたりして晩年の制作活動をサポートし、託されたスチュを献身的に支えたのは事実で。アストリッドがいなければ描きあげられなかった作品もあったんだろうと思う。

 


序盤から右手を支えるような形で絵を描いていたり、時折頭を押さえるような仕草をしたり、普段声を張らないのに突然大声で激昂したり、ああ今右手に麻痺がきてるんだ、って分かるような動きをしたり、スチュアート・サトクリフとして全力で生ききっていた戸塚さん。

私がスチュばっかり見ちゃうのはもうしょうがないので許してほしい。好きなシーンたくさんあるけど、初めてベースを手にして、訳の分からないまま鳴らしたEの音に、世界がパァッと広がった瞬間の表情良かったな…

(たぶん)再演になかったセリフ。持ち曲が50曲もない中6時間演奏し続けなければならない状況で、「アクションペイントとかやれるぜ?」と案を出したのに全員に完全スルーされるシーンでスチュのバンドの中での立ち位置がなんとなく分かってしまったところ、笑えるんだけど切なくなった。

娼婦の女の子とはチュッチュチュッチュしてたのに(本当にごめんだけど双眼鏡でガン見してました本当にごめん)、心から愛しているアストリッドとは一度も唇を重ねることはなくて、小さくて細い手の甲に控えめにキスしたり、熱く見つめたり、強く抱擁したり…恋と愛の違いを明確に演じ分けていた。

晩年の、病状が悪化してからのお芝居は本当に痛々しくて辛かった。観ているこちらも息が苦しくなるほど。去年の舞台『真夜中に起こった出来事』でもそうだったけど、演技のはずなのにお芝居ってことを忘れてしまうくらい、重篤な怪我だったり重い病気だったりの表現が凄まじすぎる。再演から今回の再再演まで、他の舞台で積み上げてきた経験がよりお芝居に活きている!っていう気がしました。

 


私は東京と兵庫の大楽しか観ていないので知らなかったんだけど、ラストシーンは他会場と東京会場で変えてたと教えてもらいました。EXシアターは奥行きが足りなかった?ようで。

東京の演出、すごく好きだった!スチュがジョンを迎えに来て、額縁を乗り越えた瞬間に歓声がブツっと途切れ、ジョンがハッとした表情をして、暗転。なんだかドキッとするようなラストシーン。

他会場と兵庫は、歓声の中、煙草を燻らせながら靴音を響かせてスチュとジョンが額縁の奥の暗闇に消えていく、という余韻の残るラストシーン。大楽はここで一瞬の静寂があったあと、割れんばかりの拍手が起こったのが感動的だった。これが本当に、ファイナルのファイナル。

 


キャストのみなさんも、スタッフさんたちも、私たちも、こんなにも"最後"を心から惜しみつつ別れる作品って他にあるのか…?と思ってしまう。

令和のビートルズはメンバー変わらず、シングルキャストで88公演!お芝居も演奏も全部やって全力で走り抜けた。すごいことだ…そんな歴史に残る作品の再演と再々演を見届けることができたことを誇りに思う。

 


最後の最後にみんなで「ビーバッパルーラ!」を叫べた。ビーバッパルーラとは…「最高!!!!!!」って意味なのかもしれない。

BACKBEAT最高!!本当にありがとうございました。

 

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初めて本物の音源聴いたんだけど、加藤さんの歌い方がまんまこのジョン・レノンすぎて衝撃だった。

ツイスト・アンド・シャウト (2009 - Remaster)

ツイスト・アンド・シャウト (2009 - Remaster)

  • ビートルズ
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

朗読会『葉葉葉-わたしはあなたか-』観劇記録

観劇日

10月30日 昼公演@ 東京 キリスト品川教会 グローリア・チャペル

朗読会『葉葉葉』-わたしはあなたか-

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静まり返る教会の中、小鳥のさえずりや子どもたちの声だけが微かに聴こえる…とても穏やかで、でもどこか緊張感のある不思議な雰囲気のなか、開演時間になり、黒い衣装の戸塚さんが真ん中の通路を裸足で歩いてきた。

戸塚さんのコンテンポラリーダンス。これまでも何度か目にする機会はあったけれど、そのどれとも違うと感じた。あの空間や光のなかでだけ感じ取れる至高の時間。戸塚さんの踊りには重力を感じない。舞い落ちる花びらのような、ふわりとした羽根のような…"踊っている"というよりは、"舞っている"と表現した方がしっくりくる気がする。足元は裸足なのにくるくると回転しても床を擦る音がほとんど響かない。シンプルな黒いシャツとパンツのみを着用しているためか、身体の遣い方、筋肉ひとつひとつの動きがよくわかる。表情はつけていないのに、踊りに"表情"が見える。

教会の十字架にかかる、踊る戸塚さんの影がとても美しくて、「これは戸塚さんの動きや細やかな表現だけではなく、空間まるごと愉しむべきだ」と即座に思い、構えていた双眼鏡を下ろした。何とも贅沢な時間。

音声や文字で発される言葉によって感じることも、受取り手によって変化するのに、身体表現だとさらに認識の擦り合わせの難易度は格段に上がる。戸塚さんがあの時何を伝えたかったのか、伝えようとしているのか、会場にいる全員の感じ取ることがすべて異なっていたとしても、どれもきっと間違ってはいないんだと思う。朗読会の場で朗読をしていないのに、"言葉と認知""他者との認知のズレ"というテーマにものすごく沿っていた。身体表現も言語なんだな…すごく興味深かった。

https://x.com/bababa_reading/status/1983738127186588080?s=46&t=RklLxOIifNCYng5jWeAPNg


戸塚さんのコンテンポラリーダンスが終わったあと、お三方が一人一人出てきて、詩や文章を朗読する。さすがだなあと思ったのは又吉さん。その場にいた人のほとんどが"教会で行われる朗読会"に緊張していたのだと思うのだけど(私も)、それを見事に笑いで解いてくださった。「そうか。"面白い"って思ったら、笑って良いんだ!」ってなった。肩の力がほどよく抜けた。

又吉さんがご自身の好きな言葉を何篇かご紹介くださったのだけど、その中で戸塚さんの

"死ね"っていう言葉の意味が"死ね"じゃなかったらいいな 

『星が光っていると思っていた』戸塚祥太


を挙げてくれた。このよく知る言葉がスクリーンに映し出されて、又吉さんが読み上げた瞬間、自分でもびっくりしたんだけど、突然ぶわっと熱い涙が出て驚いた。

『星が光っていると思っていた』のポエトリーパートは、普段から聴いていてもグッとくるんだけど、改めてこの一文だけを文字にして目にすると、言葉の意味や重さがダイレクトに伝わってきて、ものすごい衝撃だった。又吉さんがこともなげにサラッと単調に読み上げたのもあったのかも知れない。本当にびっくりした。私、この言葉をあの瞬間に、本当の意味で初めて理解したんだと思う。言葉の束でぶん殴られた気分だった。びっくりしたー!朗読ってスゲー!


衣装を変えた戸塚さんが出てきて、会場を見渡して、「…この光がね、いいですよね」と照れたように笑った。さっきの、表情をつけずに動きで魅せていた戸塚さんとは別人みたいに柔らかい雰囲気だった。

私が観劇したのは昼公演。夜公演とは外からの光の入り方が違うため、照明演出もすこし変えているのだそう。外から差し込む光と、照明が溶け合って、コンクリート造りの灰色の壁を豊かに照らす。(きっと夜はまた全然違ったと思うので、観たかったなあ!)

https://x.com/bababa_reading/status/1983855148352082362?s=46&t=RklLxOIifNCYng5jWeAPNg


3人が横並びに揃い、それぞれが自己紹介をする時、「よろしくお願いいたします。」を派手に噛んだ戸塚さんがぺろっと舌を出しておどけていた。信頼できるひとたちに囲まれて、自然体でいるんだなと感じた。

即興詩や連詩など、さまざまなコーナーを通して、又吉さんや黒川さんの言葉を噛み締めるようにして聞いている時や、きゅっと脚を閉じて座ってみたり伸ばしてみたりラフに座ったりと、すこし落ち着かない瞬間がある感じとか、ぽやっとしていて黒川さんに「祥太くんに詩を読んで欲しいのに全然読んでくれない」って突っ込まれちゃう感じとか、限りなく素に近いんじゃないかと思う戸塚祥太がたくさん見られた。こんなことが…あっていいんだろうか…

黒川さんには「祥太くん」、又吉さんには「祥太さん」と呼ばれていたのもなんかすごく良かった。戸塚さんは終始ほわほわ笑っていて、普段から大事にされているんだろうなって感じ取れるのも良かった。いつも私たちにたくさんの愛をくれる戸塚さんが、すっごく、愛されている!!うれしい。


初めて聞くようなお話もたくさん聞けた。

戸塚さんがずっと苦手で食べられなかった、焼いたレバーを食べられるようになった話。蝉が嫌いで、見かけると逃げるので黒川さんが蝉の生死の判断方法を教えてくれた話。明朝6時に羽田空港にいなきゃいけないのに、又吉さんと呑むのが楽しくて全然帰らない話。黒川さんと会う時は、基本的に約束をしない話。北品川に2人で下駄を買いに行って、慣れない下駄にふたりして足を血だらけにして帰った話。(まだあったのに思い出せない…メモ取りながら参加すればよかった)

 


「僕は作詞や作曲もしているので」と、戸塚さんはアコースティックギターの弾き語りもしてくれた。(選曲は日替りのようで、この日はところどころ歌詞が変わった『月に行くね、光の連続』だった)ライブハウスやホールとはまた違った音の響きかた、抜けかたをしていた。教会という特別な場所で好きな人のアンプラグド・ライブが観れる(聴ける)ってなんて贅沢なんだろうか…!これ以上ないんじゃないかってくらい幸せを感じた。こんなことが…あっていいんだろうか…

https://x.com/bababa_reading/status/1984134488608100725?s=46&t=RklLxOIifNCYng5jWeAPNg


終盤は又吉さんが書いたお話を3人が順番に読み上げる時間だった。舞台とは異なり、観客の想像の中で、物語は描かれ、そして進んでいく。読書体験とよく似ているけれど、同じではない。3人が発する言葉の海にゆっくりと深く重く沈んでいくあいだに、陽が傾き始めていた。

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終演後は、一生分の言葉を浴びたような感覚でふわふわとしたまま羽田へ向かった。

とても素敵で贅沢で貴重な体験をさせていただいた濃密な2時間だった。

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自担にロマンチック担当の自覚があって助かる。

舞台『アーモンド』観劇記録

観劇日

9月6日 昼 @東京 シアタートラム

9月6日 夜 同上

9月7日 昼 同上

9月20日 昼 @大阪 近鉄アート館

9月20日 夜 同上

あらすじ

怪物と呼ばれた少年が、愛によって生まれ変わるまで――
扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖といった感情をうまく感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。祖母は彼を「かわいい怪物」と呼んだ。
そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母親が通り魔に襲われ死傷したときも、 ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。
母親は感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」などの感情を丸暗記させることで、なんとかユンジェを“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。
だが、母は 事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちに。
そんなとき現れた、もう一人の“怪物”ゴニ。ユンジェとは正反対の激しい感情をもつその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく――

舞台『アーモンド』公式ホームページ | 2025年8月~9月 東京・大阪

客入れのSEはなし。柱が数本あるだけの無機質でシンプルなステージには数えきれないほどたくさんの本が散らばって置いてあるのが印象的。今回の会場は東京公演も大阪公演も、比較的キャパの小さな小規模劇場だったので、「お芝居を観に来た!」感がすごくあった。

開演時間になると、二重奏のチューニング音と同時にゆっくりと会場が暗転し、観客の拍手とキャストの靴音が折り重なって幕があがる。

 


灰色の空間の中で、感情の表出がない、戸塚さん演じるユンジェを中心に物語は進む。原作の文を丁寧になぞるような淡々とした語り口の彼のモノローグが大半を占めるが、コンテンポラリー表現や、柱に差す柔らかな光、ピアノやチェロ、ヴァイオリンの豊かな音色、作中で起こるいくつもの胸を抉るショッキングな出来事が赤信号が灯るように色彩を添える。

 


対照的に描かれるユンジェとゴニ。

感情が見えないため、ふわふわと掴めないユンジェ。殴られても倒されても、起き上がり小法師のように揺れ戻ってくる。対してゴニは、激しい感情を常に爆発させているような人物。地面から響くような怒号、荒っぽい言動。"感情=質量"なのかな?と思ってしまうほど、こちらが感じる重力みたいなものが全く違った。

そんな、"怪物"と呼ばれた正反対の2人の少年が、不器用ながらも、2人にしか分からない関係性を作り上げていく過程が、くすぐったくて、苦しくて…相反する2人を愛おしいと思う瞬間がいくつもあったなと思う。

"感じる"ということがどういうことなのか気になるユンジェと、"感じられない"ということがどういうことなのか気になるゴニ。

お互いがお互いを"知りたい""理解したい"ということから始まる不思議な友情に心が動かされました。

 


私が普段生きているこの世界においては、表出している感情や行動含め、視覚に頼るもの、目に見えていることの影響が大きいんだなあと思う。実際2人が実在していたとして、客観的にユンジェを見ると、何考えてるか全く分かんなくて、やっぱり気味が悪いなと思って近づかないだろうし、ゴニを見ると、何されるか全く分かんなくて、やっぱり怖いなと思って近づかないだろうなと思う。

でも、この作品を観て、ものごとの"本質"というものは目には見えないところにあり、目に見えているものが全てではないってことを改めて気付かされた。まあそうは言っても、常に本質を追求しながら人間生活を送るなんて、かなりハードルが高いなとは思うんだけど…そんなふうにしていろんな過程をすっぽかしてこれまで生きてしまっているのだなあ…とちょっと反省した。

 


そういう意味でいえば、いちばん"こちら側"というか、私が共感したのはゴニの父親であるユン教授だったなと思う。余命いくばくもない病床に臥せる妻を傷つけないため、喜ばせるため、安心させるため…愛ゆえの嘘。そういう、人を想うがゆえに取り繕ってしまうことって少なからず思い当たることがあるもんな…それが時には一方で巡り巡って誰かを傷つけてしまう、なんてこともあるのかも知れない。

ゴニが自分自身を奈落の底に突き落とす悲劇のきっかけとなった修学旅行での事件。ゴニの話も聞かずに先回りして謝罪と支払いを済ませてしまったのは、親としての責任感からだったのかもしれないが、悪手だった。ゴニのことを信じていないってことになるから。息子はやっていない!って一緒に戦って欲しかった。ゴニはどれだけ傷ついただろうと思う。だけど、最後は自分の地位とか世間体とかすべてを捨てて、ゴニのためだけに生きてみる、と言った彼は、それまでゴニを愛しているようには見えなかったけれど、こちらがそう見えていなかっただけで、ゴニのことを愛していたんだなあと感じた。

ユン教授は父親だけど、人の親だからといって言動全てが正しい、聖人君子みたいな描き方をされていなかったのが私は好きだった。とても"人間らしい"人だった。人間だから間違うことはあるし、後悔することも、そしてこれからやり直すことだって出来る。ゴニはまだ19歳だからね、この先の人生の方がきっと長いから。

 


今回主演である戸塚さんが舞台にいなかった時間はたぶんほんの20秒くらいのものだったと思う。出ずっぱりってまさにこのことだな…すごい。他のキャストの方は1人何役も担い、色んな変化を見せてくれたが、戸塚さんだけは最初から最後まで一貫してずっとユンジェとしてそこに立っていた。表情に目立った変化が見えない分、幼少期のぎこちない歩き方から自然な歩き方に変化していたり、歳を重ねるにつれ発する言葉に感情を少しずつ載せていくその塩梅が絶妙で、ユンジェの感情もゆっくりではあるが成長していることを表現していた。

かつて母さんが教えてくれていたように、親代わりのシム博士とのやり取りを通して学んだ"親しい者同士の距離感のとりかたや会話の進め方"を大真面目にゴニの前で実践するコミカルな動きも、

誰が教えてくれたわけでもないけど、ドラの前では戸惑ったり驚いたり、肩が上下するほど息遣いが荒くなったり鼓動が速くなったりしてしまうことも、

友達のため、自ら危険を顧みずに、冷酷無比な針金の兄貴に衝動的に会いに行ってしまうことも、

すべてユンジェが世の中を、ゴニを、"知りたい""理解したい"と関わりをやめずに続けてきたからこその変化、成長だ。

 


死にたくないから助けに行かない、

傷つかないために選ばない、

感じても行動しない、

そういう人間には、なりたくない。

ゴニとの出会いはそんな風に成長していくきっかけにすぎないけれど、あの日何も感じることなく見つめることしかできなかった、ばあちゃんと母さんに起こった出来事を、身を挺してゴニを守ったことで"感じた"。

 


ユンジェは感情が表出しないだけで、感情が"ない"わけではないと思う。言葉を分解したら、ただの音の羅列になり、最初から何もなかったみたいに意味がなくなる。感情も分解したら、意味がなくなるのだろうか?感情や心は頭の信号で命令で…理屈で言えばそうだけど、それだけでは説明がつかないことがあまりにも多い。目には見えないだけで、そこにたしかに"ある"のではないだろうか、誰しも頭のどこかに持つアーモンドみたいに。

 


巨人のばあちゃんとヴァンパイアの母さんに、両隣でしっかりと手を握られ、愛に守られていたユンジェが、今度は自ら愛を持って善き友の手を取る。愛すべき2人の怪物たち。きっと次は、絶対に、繋いだ手を離さない。

 


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

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学校シーンで流れる音にやけに聴き覚えがあって、でも何のメロディだったかがマジで思い出せなくてモヤモヤしてたんだけど、大阪公演が終わり、新大阪のホームで新幹線を待ってて、到着した列車のホームドアが開いた瞬間に雷が落ちたみたいな衝撃を受けて固まってしまった。

いやこれやん!!!!!!!!!

(乙女の祈り、という曲らしいです。)

舞台『CRIMINAL FOUR-愛しき大悪党-』観劇記録

観劇日

4月12日 @福岡 キャナルシティ劇場

CRIMINAL FOUR —愛しき大悪党— | イベント | 関西テレビ放送 カンテレ

あらすじ

舞台はフランス・パリ。国民が夢中になったパリ五輪から10年後の世界。各国の争いが絶えない中、フランスはどうにか踏みとどまり、平和を愛する国として日々を営んでいる。しかしそのスタンスを取り続けることで政治的に孤立し、経済は困窮。かつての「花の都パリ」は、今や貧困の街へと歩みを進めていた。
そんな閉塞感漂う街で、市民の間で噂になっているのは犯罪集団「ル・ミラージュ」。その名の通り蜃気楼のような、掴みどころのない存在だ。巧妙な手口で警察に尻尾を掴ませない彼らを、民衆の中には「極悪非道」と罵る者もいれば、「正義の味方」と英雄視する者もいる。それは彼らの標的が、いつも極悪人であることが理由だった。
ル・ミラージュの構成員は、警察官の身分を持つユーゴ、詐欺師のような話術を操るライアン、天才的なIQを誇るシモン、驚異的な身体能力を持つガスパール。世界の均衡を保つべく暗躍している彼らに、新たなミッションが下される。それは間もなく行われるパリ市長選挙にまつわるものだった。
民間企業の女性CEOで、認知も高く人気抜群の次期市長候補シルヴィー・ゴールドスミス。彼女の圧倒的な人気に、現職市長の落選は確実視されている。しかしそんな彼女にはある“裏の顔”があるという。真実を追い求める地域ラジオのパーソナリティ・エミリーと出会った彼らは、この選挙の行方に大きく関わることになる──。
正義感溢れるエミリーと、手段を選ばないル・ミラージュ。二つの正義が交差する時、パリの運命は大きく動き出す……。

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お久しぶりのキャナルシティ劇場〜!音が良いし、傾斜がしっかりついているので後方でも見やすくてだいすき。今回一般で入ったので二階席の一番後ろだったけど、全体見渡せて良かった。

音が良いのは会場の良いところとしても、今回のキャストさん、ふぉ〜ゆ〜のみんな含めて全員発声と滑舌が素晴らしくて、セリフが聞き取りやすくて最高だった!音響良くても何言ってるかわかんなかったら意味ないからね…流石だった。

 


ふぉ〜ゆ〜は戸塚さんとBACKBEATで共演した辰巳くん、長崎に舞台で来てくれた時に観た福ちゃんはお芝居を見たことがあったけれど、今回、越岡さんと松崎さんがお初だった。結果4人ともイイってすごいな!と。特に私は松崎さんのガスパールが…めっちゃ良くてなあ…1人だけジャンプの作画というか、派手な見た目で身体能力が高く、自信家で情に熱くて、語尾に絶対「!」が付く感じ…好き…!松崎さんにとても合ってた!トゥクストゥールーのお兄さんだと思ってたけど(トゥクストゥールーのお兄さん?)、生で見るとスタイルめちゃくちゃ良いし格好良かった…役柄もあってかセリフ言いながらセットに飛び乗る、みたいなアクションも人一倍多かったけど、ひょいひょいっとやってて完全に恋だった…

ル・ミラージュの4人の生い立ちが明かされたあと、自らの生命がかかったミッションから退くか進むか…の選択を迫られた時、ガスパール

「どうせ一度は捨てられた命だ!」

って言うんですよね。あそこで私はめっちゃ泣いてしまいました。投げやりになっているわけではないし、難しいミッションに対しての自信があるからこその発言ではあるんだろうけど、彼らの"親に捨てられた経験"が怖いもの無しの姿勢に繋がっていることがとても悲しかった。4人ともみんないい奴だから、もっと自分のことを大事にできる人生がいいよ…死ぬのが怖いって保身に走ったっていいよ…生命は大事だよ…と思っちゃった泣

 


越岡さん演じるシモンは、頭脳明晰ということもあって、終始落ち着いていて、誰かが揉めてても一歩引いて見ている感じ。ミッションの時、1人だけ全身ピッタピタのレザー着てて、美容系だからな…と謎に納得してたんだけど、レーザー潜り抜ける担当だったからか!となった。ミッションの時だけ声がバカみたいにデカくなるのかわいかった。越岡さんのおしりがとても小さくて羨ましかった…シモンが人を褒める時によく言う「美しい考え方だ」っていうセリフがすごく良かったな。

 


辰巳くんはいちばんセリフが多かったのかな?ライアンは4人の中でも人間味を感じる瞬間が多かったように思う。普段は推される側の辰巳くんが、オタクのライアンを演るって面白いなあ。「(推し活は)自分のためです!」って何度も言っていたのが印象的。(個人的に"推し活"って言葉は好きじゃないけど、自分のためっていうのは大納得)

仲間(家族)を取るか、母親を取るかの葛藤のシーンは本当に苦しくて、絆の繋がりと血の繋がりって、選択を迫られた時はこんなにも苦しいんだなあと思った。絞り出すように泣く辰巳くんのお芝居がすごく良かった。辰巳くんにつられて泣いている方が多かったように思う。大人のライアンの泣き方と、幼少期のライアンの泣き方にすーっと切り替わる瞬間は見事だった。

 


福ちゃんは"間"が本当に上手い役者さんだなあと思う。会話と会話のテンポ感を自然に乗りこなすのが本当に上手い!今回完全オリジナル作品ということで、多少当て書きをされている部分がありそうなんだけど、ユーゴの表の顔は警察官であり、裏の顔は犯罪組織のリーダーであるという二面性を演じ分けることができるのは福ちゃんなんだろうなと思った。前半でのゼニガタ刑事とのやり取りでは、おだてれば何でもポロリしちゃうぽんこつ刑事を話術で翻弄して、後半では真に迫るゼニガタ刑事と表裏のないユーゴとして真っ直ぐ対峙する。この2人でコメディパートとシリアスパートをどっちも担うのマジで最高だった!漢同士の闘い、痺れた…!あと福ちゃんってめっちゃ美脚なんですね…

 


東京、大阪、ときて福岡にて終幕する今作品。福岡に来てくれてありがとう〜!一度だけの観劇だったけど、前情報入れずとも楽しめる良質なエンタメすぎたので観れてよかった。ふぉ〜ゆ〜のお芝居、全員エモーショナルですごく良かった!これをグループのメンバーみんなで演れるっていいな。また福岡来て欲しい!

舞台『真夜中に起こった出来事』観劇記録

観劇日

3月15日 昼 @東京 よみうり大手町ホール

3月15日 夜 @同上

3月16日 昼 @同上

3月22日 夜 @大阪 サンケイホールブリーゼ

3月23日 昼 @同上

3月23日 夜 @同上 大千穐楽

 

『真夜中に起こった出来事』 公式ホームページ | 2025年上演

あらすじ

1931年のベルリン。アドルフ・ヒトラー率いるナチ党は躍進中でした。そんな中、若きユダヤ人弁護士ハンス・リッテンはある殺人事件の証人として、ヒトラーを約3時間の尋問で窮地に追い込み、反ファシズムの旗手としてその名を轟かせます。

しかし2年後、ヒトラー内閣が成立。権力を握ったナチスはある夜、ハンスを「保護拘留」の名のもと、強制収容所に投獄します。ヒトラーは2年前の証言台での屈辱を忘れてはいませんでした。

そしてハンスの母親・イルムガルトは彼の逮捕を知った瞬間から、息子の釈放のため、すぐに行動に移します。ハンスは拷問され、侮辱されても決して屈しません。そしてイルムガルトもナチスの強大な力から息子を救うため、不屈の精神と情熱をもってヒトラーに立ち向かうのでした。


会場へ入ると、時計の秒針みたいな音が繰り返し流れていた。実際の秒針よりも刻みが遅くて、ゆっくりと責め立てられるように、何かをカウントダウンされているみたいに感じた。真夜中にふいに目覚めてしまった日、早く寝たいのに部屋の秒針の音がやけに大きく感じて、眠れなくなってしまって焦るいつかの夜のことを思い出した。灰色の分厚く頑丈そうなコンクリートの壁からは鉄筋の骨組みが露出し、廃墟や牢獄を思わせる荒廃的なセットに白いドアがひとつ。形違いの布張りの椅子や木製の椅子が数脚置かれて、何だか始まる前からすでに物々しい雰囲気で妙な緊張感があった。

 


セットもそうだけど、全体的にとても演劇的な、硬派な演出だと感じた。ステージ上のバミリの位置とか数見てすごいドキドキしない?私はする。セットは固定で大きな舞台装置もなく、お芝居の中で演者が木箱を押したり、柱を運んだり、椅子を持ち出したり、照明の切り替えや音で場面の移り変わりを表現する。爆発音や銃声、突撃隊の笛の音、サイレン、雫が落ちる音…たまに耳鳴りみたいなキーンとした音が鳴っていたのも印象的。ヒトラー人間性が垣間見える話や、この時代に蔓延る思想に関連する話をしている時に多かったように思う。耳障りで思わずこちらの顔が不快に歪んでしまっていた。無意識下にヒトラーへの嫌悪感を印象付けられているような気がした。

扉の色もライティングによって変化していた。たぶんそのシーンのイメージカラーのようなものなのかな、と私個人は捉えたけれど、実際のところどうなのかは分からない。ユダヤの話をしている時は黄色。ユダヤ人への差別の話は赤い色。2幕冒頭のヒトラーの民衆へ向けた演説、ハンスがヒトラーの誕生日に読んだ「思想は自由だ」という詩の時は白い色。イギリスからアレン卿が来る、収容所にいるハンスと会える話、イルムガルトがドイツを出てイギリスへ行く話の時は青白い色。そして、要塞のような壁に穴が空くように、終始閉じられたままだった扉が開かれるのは一番最後。こちらからは暗闇しか視認できないあの扉の先には何があるのだろうか…。

照明演出も印象に残っている。客席にも思わず眩しくて目を瞑ってしまうほどの強い光を当てられたり、他の作品であれば幕間や終演まで点くことはない客電がついたりして、客席も含めた空間すべてが作品のような印象だった。むしろ、光に関しては、『これは他人事ではないし、遠い過去の、海の外の遠い国の出来事ではない。今、この場にいるすべての人の、"お前の"物語だ。』と言われているみたいだった。実際、第一次・第二次世界大戦から時間は確実に経っているのに、文化も経済も著しく発展しているのに、今でも世界のどこかで戦争は起こっているし、人種差別もなくなっていない。世界平和は達成されていない。発達したコミュニケーションツールで年齢も居住地も異なる人と簡単に友人になれる一方、匿名でごくごく気軽に言葉のナイフを振りかざし、切り取られた一部や言葉尻だけを拾って信じて必要以上に責め立てる。顔も名前も分からないどこかの誰かが、大勢で今日も誰かを言葉で殺している。それが、今を生きる私たちの紛れもない現実。

 


扱っている題材が題材だけに、全体的に重く苦しい空気が付き纏う今作品。

その中でも、鞭打ちや磔、電気ショックなど、目を背けたくなるような拷問のシーンが続くのに、唯一少しだけ気楽に観られるのがハンス・エーリッヒ・オシエツキー3人のシーンという…(大千穐楽の戸塚さんの言葉を借りると"囚人グループ"のシーン)。ハンスのセリフにもあったけれど、エーリッヒの存在は2人にとっても、観客にとってもありがたい存在だったなと思う。冗談を言い合ったり、突撃隊をわざと煽るようなことを言ったり、歯向かう姿勢すら見てとれたので、あの頃はまだハンスも一時的なものだろうと心のどこかで思っていたのかも知れない。

ハンスが「生まれ故郷のケーニヒスベルクの街を走っていると、どこまでも続く電柱が墓石みたいに見えた」と言った。エーリッヒが虐殺されたあと、浮かび上がる磔の三本の柱はまさしく墓石に見えた。

 


細かい演出が効いているなと思ったところで言うと、2幕冒頭、ハンスと一緒に本の製本をしているグスタフが、ハンスとのやり取りの中で絵の描き方の話をしているシーン。「この子は絵を描く人なのだな」と思ったと同時に、ぼろぼろの包帯で吊るされた腕だけではなく、指も潰されているのに気付いた瞬間、ああ、序盤でオシエツキーが言っていた、「アスリートは二度と走れなくなるよう脚を狙われる、ピアニストは指を狙われる」にかかっているんだ…と気付いてしまってとてつもなく胸が苦しくなった。"画家は絵が描けなくなるように腕を折られ、指を潰される"んだ。その人にとって大切なものを奪う。何という鬼畜の所業…人の心が無い。そう考えると、終盤で喉が潰れているハンスも、厳しい拷問に叫び続けて声も枯れ果てたのかと思っていたけど、もしかしたら…"弁護士は喉を狙われる"、人を諭したり思想を声高に伝えられないように、罪人を守ることが出来ないように、喉を意図的に潰されていたのかも知れないと思ったら…うわ無理だ…しんど、、、となった。

 

パンフレットを読めば分かることではあるけど、仮に読まなくても、イルムガルトの所作や言動、服装を見れば、リッテン家はとても裕福な家庭だったんだろうなと察しがつく。当時のドイツの情勢を踏まえると、ハンスに弁護士を志せるほどの豊かな教育を受けさせることができたということは、ある一定以上の社会的地位があるのだろうと窺える。イルムガルトがいくら気が強く声が大きいとはいえ、ゲシュタポの官僚やイギリスの貴族に簡単に(手続き諸々の過程は省略しているだろうけど)会いに行けるとはとてもじゃないけど思えない。リッテン家が裕福で、発言力もあったからこそ、イルムガルトは戦うことができたんだろうし、手記を残し、声を上げ、こうして後世に語り継がれるような作品が生まれたんだろうと思うけど、同時に、声すらも上げられないような人たちが数百万人規模でいたんだろうと思うと居た堪れなくなる。語られることすら許されなかった物語たちに想いを馳せる。

ゲシュタポのドクター・コンラートとイルムガルトの関係性の変化も興味深かった。息子を捕らえている敵側であるはずのコンラートと初対面した1幕では、挨拶の握手も拒み、勧められても飲まなかった紅茶を2幕では飲んでいたり、ベンチの隣に座り、差し出されたHARIBOも口にしたし、イルムガルトが心を許している様子が窺える。20数回(それ以上?)の謁見の中で、関係性を築いていたのが分かる。個人としてはイルムガルトの息子ハンスのことを嫌っているのに、ゲシュタポのいち官僚としてはきちんと仕事をする、というコンラートの誠実ともいえる人柄もあったのかも知れないけど、結局はコンラートも、ゲシュタポ側(ナチス党)が引き出したい情報を得るための体のいい駒に過ぎなかったのかもなと思うと少し残念に思う。文学の趣味も合うようだったし、時代や立場が違えば良き友人になっていたかも知れないな、と思った。

イルムガルトを演じた高橋恵子さん、本当に素敵だった。セリフ量がキャストいち多くて、幕間以外はセリフのある無しに関わらずずっとステージの上だった。すごすぎる…華奢で小柄なのに、声には芯があって、凛とした佇まいは強さも感じる。品のあるところがどことなく戸塚さんに通ずるものがあって、親子役がぴったりだと思った。カテコではとてもキュートな一面を見ることができて、少女のような可愛らしさを感じてめちゃくちゃキュンとしちゃった!こういう歳の重ね方をしたいな、と思わせるような素敵な方だった。

 

演者に絶対の信頼を置いたシンプルな演出めっちゃ好きだったな…戸塚さんはほぼほぼ出ずっぱりで、台詞がない時でもハンスとしてそこにいた。台詞はないのに目線の動かし方、表情、顔や身体の向きに変化をつけることで、ハンスの心情が見てとれた。戸塚さんの"目のお芝居"が元々大好きだけど、今作はそこへ注目させられる瞬間がとても多かったように感じる。特に2幕が印象的で、台詞はないのに視覚に訴えかける大きな存在感が常にあった。

1幕終盤の、イルムガルトがゲシュタポに提出したハンスの怪我のリストのシーンには鳥肌が止まらなかった。ゆっくりと立ち上がったハンスが、症状を読み上げられる度にその該当箇所が変化していくさまを表現していて、『左目失明』で目が潰れ、『左大腿骨折』『尾骶骨骨折』で身体の重心が大きく傾き、『頬骨陥没骨折』『歯牙破折』で顔や口が大きく歪み、『親指人差し指脱臼』でその指が硬く強張った。人相も骨格ですらもすっかり変わってしまったように見えて、本当に怪我を負っているかのように変化したのが衝撃的だった…これがメイクだったりではなく、俳優戸塚祥太の身体表現によるものというところが凄まじい。

物語終盤の畳み掛けるような戸塚さんの一人芝居は、もう圧巻の一言。鬼気迫るというのはこういうことを言うんだと思う。直前までイルムガルトと対話していた満身創痍のハンスとの切り替えが凄まじい。背を向けていたハンスがこちらを振り返った瞬間から、身のこなし、声の張り、目線、表情、全てが別人のよう。でもちゃんとはっきりこれは我々がこれまで見てきたハンス・リッテンだということが分かる。芯の部分は変わらない。信念を持った正しく真っ直ぐな青年。

血気盛んで勝ち気な"あの頃の"ハンスの堂々たる法廷弁論に惹き込まれ魅了され、どんどん大きくなる歓声に高揚さえしていると、突然絶望のどん底に突き落とされる。溌剌とした生と凄惨な死の鮮やかな対比。

ハンスがヒトラーの恨みを買うきっかけとなった重要な出来事なのに、それまで序盤の収容所でのやり取りや、会話の中でしか出てこなかった『エデン・ダンスパレス裁判』をハンスが自らの命を絶つまでの最後の最後に見せる。この残酷とも言える構成にこの作品の真髄を見た。あんな結末だったけど、模範収容所とされていたダッハウ収容所に一石を投じたことがハンスの最期の攻撃だったのかもと思った。自死という命を懸けた皮肉と反抗…ハンスは最期まで戦っていた。

あくまで比喩なんだけど、ハンスの最期の姿が目前に現れた瞬間、急に誰かに背中をドンと押されて、崖の下へ一気に落ちて、目の前が真っ暗になった気分だった。こんな気持ちになるなんて、これまでの観劇体験の中でも初めてのこと。その後舞台の幕が降り、メインキャスト親子のカテコでほっこりしても、このどんより陰鬱とした気持ちは拭い去れず、会場を出てもいつまでも引き摺った。元々どちらかというと1人で観劇して、自分の中で振り返って感想を練るタイプだけど、この作品ほど1人で観て良かったと思ったことはない。こんなん終わったあと一言も発せられないよ…


ハンスは正しく真っ直ぐ育ったのだと思う。年長者や周りの人の意見を聞き比べて、自分が信じる道を、自分がいいと思う道を歩みなさい、という母の教えそのままに実直に。それが図らずも回り回ってハンスを牢獄に入れてしまったし、たくさんの人間の恨みを買うことになった。嘘をつかずに信念を貫き通すことが獄中での自死を選び取るという結果に繋がった。とても残酷だ…ここでは、正しくあろうとすることが悪で、他人を踏みつけてでも自らが生きることを先決することの方が正しい選択のように思われる。善と悪がひっくり返る。正しく真っ直ぐに育ったハンスをみると、イルムガルトの子育てとしては大成功なはずなのに、それが間違っている、愚かだとされてしまう。すごく苦しい…じゃあ一体どうしたら良かったんだろう?答えが出ない。ハンスの振り絞るように話す声が耳から離れない。


正義と悪は白黒ハッキリしたもので、一見それぞれが確立した全く異なるもののように見えるけど、人によって、捉え方や考え方、思想、宗教、時代背景、心身の健康状態、あるいは経済状況、見方や立場が変われば正義と悪は容易に入れ替わると思う。実際、作品の中でも、ナチスヒトラーが絶対悪とされているわけではなく、たとえばアレン卿は対面で話したヒトラーのことを情熱を持って政治にあたる、政治家としては珍しく人の話をよく聞き入れ、信頼に足る人物として捉えていたことが分かるし、ヒトラーに仕えるドクター・コンラートは逆にハンスのことを愚かで腐った人間だと揶揄した。

当時、ヒトラーは正義で正しい、味方だ、ハンスは悪だ、敵だと大勢に信じられたから、あのような悲惨なことが起こった。ヒトラーは1人で独裁者になったのではなく、戦争に負け、悲惨な状況下で懸命に生きる民衆たちに担がれて、結果的に独裁者になったのだと思う。あの時代のドイツにもし自分が生きていたとして、ヒトラーは悪だと私は言えるのだろうかと考える。法廷の中でヒトラーの著書を片手に強い言葉でヒトラーをこき下ろすハンスを彼は善人だと、正義であると、果たして言えるのだろうか。特に観劇の回を重ねるごとに分からなくなっていった。ハンスこそが怪物に見える瞬間が確かにあったからだ。

ハンス宛ての本を丁寧に包んだ古本屋の主人のように、1人だけ鞭を持つのを拒んだかつての依頼人のように、民衆の、数の力に負けず、ハンスの側に立つことはできるのだろうか。勿論そうありたいけど、どうしてもぐらぐらと揺らいでしまう、自信がないなと思ってしまう。もしかすると、生きるために、嘘をついてしまうかもしれない…ハンスも、オシエツキーも、エーリッヒも、そしてイルムガルトも、本当に勇敢だったなと思う。あの混沌とした時代に生きて、自分の信念を貫き通すことの難しさよ…。観劇後も、考えを巡らせていると、急に刃先の冷たいナイフを首筋に当てがわれたような感覚に陥る瞬間がある。初めて観劇した日からずっと。今もその感覚は消えないけど、それでいいような気もしている。いま、この作品を観て、私が受け取ったものがそこにあるのかも。とても重くて辛くて苦しかったけど、出会えて良かったと思える作品。

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1922年生まれのHARIBOパイセン

 

舞台『ABC座2024 大金星(BIG VENUS)〜時代(とき)を超えて〜』観劇記録

観劇日

 


11月29日(夜) @ 東京 TOKYO DOME CITY HALL

11月30日(昼) @ 同上

12月16日(大阪千穐楽) @ 大阪 COOL JAPAN OSAKA WWホール

 

 

 

開演前の客入れSEは事務所曲のインストが流れていて、この時点で「あ〜今年もえび座がはじまるんだ…」となって感無量だった。正直ないかもと思ってたんだよ…なくても気を落とさないでいようとか謎に気負ってた笑 あってよかったABC座!私が入った時にちょうど社歌こと『Can do! Can go!』がかかっていてタイプロを思い出すなどしました。(SHAKEもかかってたね)

 


私はジャニーズ伝説が大好きだったし、事務所のあれこれでもう二度とできないんだな、ってなった時は本当に悲しかった。まだまだ見てほしい人がたくさんいた。でも今回のえび座は、ちゃんとジャニーズ伝説の役割みたいなものを担っていたんじゃないかと思う。アプローチの仕方は違えど、"伝統を伝えていく"ってこと。なにせ見かけがトンチキトンデモ舞台なので、わかりにくい部分もあるんだけど…笑 でもきっと今でも事務所を好きでいる人には届くものがあると思うんだよね。実際、口コミで広がって他G担の方にたくさん観てもらったのが嬉しかったし、私のTL補正も勿論あるとは思うけど良い感想しか聞かなかった。

これまでのえび座、ジャニーズ伝説の観劇記録でも書いたことがあるけど、A.B.C-Zは主演でありながら主役ではない、"事務所所属のA.B.C-Z"っていうスタンスに思えるんだよね。戸塚さんがパンフレットのインタビューで「主演ではあるけれど、物語の中ではいつまで経っても主役になれない奴らなんです(笑)」と自虐みたいな感じで答えているけど、そのスタンスで主演張り続けるのって簡単ではないと思うんだよね。

えび座の良いところは、事務所の他グループの知らない曲を知れることだし、こんな曲あったんだ、聴いてみよう!サブスクないなら買おうかな?ってなるとこなんだよ。今回だと特に個人的に刺さったのはSUPER EIGHTの『象』とHey!Say!JUMPの『群青ランナウェイ』かな。こんな良い曲あるのに知らなかったなんて!(しかもどちらもサブスクにあった、ありがてえ)

あとさ、嵐の『A・RA・SHI』とか、勿論知ってはいたけどちゃんとフルで聴いたことが実はなくて。サブスクにあったから聴いたけど、あんな音数多くて展開おもろくて、最後ゴスペル調で終わるなんて知らなかった!曲との出逢いって楽しくて面白い!

名前こそ残っていないけれど、長く続く事務所のイズムを継承し続ける、伝え続ける場所があるってことは、少なくとも事務所のことを今でも大好きな人たちにとっては大切な場所だと思う。形を変えてでも、今年も続けてくれてありがとう!感謝しかない。

A・RA・SHI

A・RA・SHI

  • J-Pop
  • ¥255

象

  • SUPER EIGHT
  • J-Pop
  • ¥255

群青ランナウェイ

群青ランナウェイ

ジュークボックス・ミュージカルということで、全編通して事務所の曲を使った作品。歌唱シーンなしにBGMだけで流れる曲も含めると40曲以上!?年代も幅広くて、改めて事務所の楽曲の多彩さに驚く。

ヘルシー、レイン、ドナイヤ、サーカス、チャンカパーナという5つの種族についても、事務所楽曲のジャンル分けから誕生したものというのも興味深かった。(なるほど〜!)

スゲ〜んだよ! | 栄作文


その5つの種族の中で、単に見た目などの変化をつけただけではなく、寿命にも明確に差をつけた点は、物語に深みを持たせたなあと唸ったところです。

ヘルシー 50年

レイン 200年

ドナイヤ 300年

サーカス 400年

チャンカパーナそれ以上(500年〜?)

寿命が違うということは、時間に対する考え方、生活スタイルはじめ、ものごとに対する価値観がまるで違うということ。特に差が大きなヘルシーとチャンカパーナを比べると一目瞭然で、日々堅実に生きるヘルシーと後先考えずに生きる享楽的なチャンカパーナ。種族が違い、生き方や文化が違う中で、それでもお互いを尊重し、交流していた過去。ビッグビーナスを巡った争いをきっかけに、顔を合わせれば言い争ってしまう、その中でも種族を超えて仲良さそうに交流を続けている子たちが一定数いる、っていう設定も良かった。そんな彼らが"みんなで輪になって"と『バリ ハピ』を歌い、争いが集結するのもいい。

 


脚本に関しては、メタ視点が盛り込まれていたのが印象的だった。私個人としてはメタ要素って、ちょっと苦手なんですよね。観客のこちら側とステージ側には絶対越えてはならない壁みたいなのがあって然るべきと思っているから、意識をこちら側に向けられると、受け手としての意識がブレるというか、集中力が切れる感じがするから。でも、今回の手法としては良かったのかもなと思う。あまりにもファンタジーだったからかな。盛り込み方も自然だったから意外とそこまで気にならなかった。ただ、そうやってこちら側との境界線のようなものを越えてくるのに、東京公演の最初の方はアドリブパートがゼロなのがちょっと怖かった。アドリブみたいな脚本なんだよ、アドリブみたいに自然な脚本。そしてそれに忠実な演者側。逆に怖え〜!と思っちゃった笑 こちら側に手を差し伸べてるように見えて、しっかり線引いてんだよ、あくまでこちらはお芝居ですよ?虚構ですよ?っていう。なんだろう、テレビ観てたら急にテレビの中の人に話しかけられたから、嬉しくなって話したら、定型文喋られて会話が成立しなくて、あ、そうかテレビだもんな…ってなるみたいな…(伝われ)

公演重ねるうちにアドリブも増えていったのでちょっと安心した。笑

 

 


ポテト教授、毎回抜群にキモくて最高だった。戸塚さん、モラハラ気質の粘着勘違いキモ男に対する解像度高すぎるだろww 心当たりでもあんのか?w でもねーーービジュがほんとにマジで最高だったので感謝が止まらないんですよ…インテリクズやらせたら絶品なんですね…知らなかったよ…お酒に酔っている時のあの自堕落な色気は何なんですかほんとうに…けしからん、ありがとうございます。

「君、キャサリンだよね?」と女優さんを抱きとめる時の虚ろな瞳よ…!あの極上甘々フェイスと至近距離で対峙していて好きになっちゃわないのだろうか…女優さんてすごいなあ…(豊橋公演のレポで見たけど、唇に人差し指当てたりとかアドリブも入ってたみたいで最ッッ高…ってなっちゃった。佐藤マリンさんありがとうございました!)

戸塚さんと田原俊彦さんの楽曲の親和性があんなに高いとは…(内容は置いといてw)戸塚さんの魅力って、ふとした瞬間に"昭和の男感"が滲み出るところにもあると思ってるから、昭和世代のアイドル曲が合うの、目から鱗だったけどめちゃくちゃ納得だった。そういえば少年隊の曲も合ってたもんな〜。でもこういう王道アイドル系の曲も合うんだな…顔可愛いしな…

ハッとして!Good

ハッとして!Good

1幕終わりの『君じゃなきゃだめなんだ』で眼鏡を外して胸に仕舞い、戸塚祥太になったあの瞬間に叫びたい気持ちを飲み込んだ自分を褒めたい。高揚感がとんでもなかった。私は…戸塚さんが大好きだ…

(次に観た大阪公演の時には王子の衣装と眼鏡を袖のスタッフさんに預けるようになっていた。高い私物眼鏡を舞台に使用する心意気〜!)てか眼鏡をお芝居のスイッチにするの、なぜかは説明できないけどめちゃくちゃ"戸塚さん"だなあ〜!!ってなった。

『JAPONICA STYLE』のハイトーンパートを歌った戸塚さん、かなり好きすぎた…あのトーンの声出るんですね…!A.B.C-Zの楽曲ではなかったから新鮮だったかも。

『Real Face#2』を歌いながら相撲でめちゃくちゃやってたので、強火かつん担には絶対にバレませんように、と切に願いながら観ていた…でもあれは怒られてもしょうがない…笑 あんなカッコいい曲がモラルに反したお下品なプレースタイルに使われるとは!!!上田くんに怒られてしまえ!!!!笑

 


はっしーのトンチキ王子。自己肯定感が高く、美意識も高いが礼節は重んじるタイプ。時間に対する意識も高い感じがした。身分が高いので傍若無人と思いきや、他人への思いやりもしっかり持ってる。自分が楽しいと思うことを他人にも共有して楽しんでもらおうとする。チャンカパーナの楽しさや女の子たちを独り占めすることだってできたのに、みんなを誘うあたり、いい奴なんだよな。自国では結構人望のある王子なのでは?というのが窺える。ちょっと、だいぶ女好きなだけで。

だってさ、何気にずっといいこと言ってたんだよね。いいことしか言ってないの。自信をなくしたカネージャを鼓舞する時や、種族を超えた恋愛を肯定した時とか。実質的な救世主は北街角ススムだったかも知れないけど、みんなの気持ちを救ったのはフット王子だと思う。

あともう何百億回言ってるけどマジで歌がうめえんだ橋本良亮…A.B.C-Zの楽曲以外でもはっしーの歌声を堪能できる幸せ。さすがA.B.C-Zのメインボーカルだぜ…

 


塚ちゃん。眉毛まで脱色して、強面つよつよビジュで好戦的なキャラなのかな〜と思ってたら、作中でいちばんのまともな常識人だった笑 現実の塚ちゃんと同じやん!笑 ストーリー序盤でFUJIYAMAが「俺は一体、何を見せられているんだぁぁあ!???」って叫んだところが全観客の気持ちを代弁していたの良かったな…(と思ったのも束の間、「いやお前が歌うのかよ…!」となったのも良かった笑)

腰の具合がめちゃくちゃ心配だったけど、アクロバットもしなやかなダンス(大好き)も健在で安心した。塚ちゃんって目立つ金髪や彫刻作品みたいな骨格もそうだけど、身体の使い方も特徴あるから、塚ちゃんが出てきた時にやっと『群青ランナウェイ』で3人がアンサンブルに紛れていることに気づいた。あのシーン、絶対に自担を見失うのに、"継承"を感じて胸熱なんだよ…A.B.C-ZもかつてはJr.だったんだよね。

 


五関くん、あれは実質主役だね。ストーリーテラーとしての役割も担っていたということもあるけど、これが現実の五関くんの現状ともリンクしている気がしてグッときたんだよね。4人になってからのいまのA.B.C-Zの雰囲気を作っているのって五関くんだと私は思っているから。いまのA.B.C-Zって、=五関晃一、くらいに思ってる。A.B.C-Zという大きな船を動かしてる船長さん!ほんとにぴったりだった。

あと、演じたご本人も驚くほどバズり倒した豚骨トン子よね…あんなんみんな夢中になって当然だよ…博多弁可愛いし上手だし(マジでなんでなの?笑)、踊り出したら妖艶で上手いし、歌い出したら歌も上手いし、どないなってんねん…ていうか五関くんてさ、マジ何なの????どうやったらアラフォーであんなピュアでキュートであざとい女の子の感じ出せるの?

 


内くん。とってもいい俳優さん。歌も上手いんだなあ、フォーティンブラスの時しか知らないから、歌もダンスもあんなに上手いなんて知らなかった…フォーティンブラスの時も思ったけど、声に貫禄があるんだよね。低音にハリがある。だからああいう役柄がほんとに似合う。でもちゃんとコメディもできるから、あのバランス感覚は素晴らしいなと思う。トンチキ舞台出てくれてありがとう〜!内くんのお芝居見れて嬉しい。大阪公演では関西弁アドリブいっぱい出てたのも可愛くて大好きだった!

 


少年忍者のみんな。全員良かったけど特に私に刺さりまくったのは川﨑星輝くん。お顔立ちがクール系なのに、歌って踊るとめっちゃアイドル!なのがすごくいい。ぴょんって飛ぶと誰よりも跳躍が高いんだよ、そういう子大好き…お芝居も、いろんな場面で複数の役をされていたけど、声色の濃淡の付け方とか表情がすごく良くて目を惹きつけてたからこれからが楽しみ!他の舞台に出ているのも見てみたいと思った。

 


最後の『Za ABC〜5stars〜』は涙なしでは見られなかった。まさかこのストーリーがざえびに終結するとは思わないじゃん…!物語にぴったりすぎてボロボロ泣いちゃったし、楽曲自体も正直もう聴けないんじゃないかとすら思ってたんだよ…

大切な五つ星。思っていた形とは違っていたけれど、こうやって形を変えて続いてゆくんだ…と思った。これって伝統じゃん〜!受け継いでゆくんだ〜!泣 ってなったよ…。少年忍者のみんな本当にありがとう…もしかしたら、勇気がいったのではないかな、とか勝手に思ったよ。ほぼえび担が占める舞台で、4人をバックに大事な5starポーズをする、って。(しかもその画をオーダーしたのが戸塚さん、という)

改めて、こんな素晴らしい曲がデビュー曲なの、誇らしいなと思った。

 


グループも世代も超えた、多彩な事務所楽曲がきちんとストーリーになってまとまっているの、本当にすごかったな〜。メインテーマはA.B.C-Zの『You've got no fear…』だけど、シングルカットされた曲でもなく、いちシングルのカップリング曲だっていうのもすごい。オープニングで歌い始めた時、選曲にびっくりしたもん笑 曲自身もびっくりしたんじゃない?笑 「エッ?ぼくがですか!?」みたいな笑 知らんけど笑 でも改めて歌詞を読み込んだら、もう間違いなくメインテーマ曲!

"すべて失ったとしても

Let's break away

きっと乗り越えられるから

差し伸べたこの手は 離しやしない

You've got no fear anymore.

塗り替えよう 栄光の未来へ"

 

A.B.C-Z You've got no fear...

そしてこの曲が世に出た時は想像だにしなかったことが起こっている今、私たち事務所のファンにとってのメッセージソングになってる。特にえび担としては、事務所のこともそうだし、グループのことに関しても、ああ乗り越えたな!と思う。去年のこの時期に、こんなにも楽しくて笑ってて、前向きな気持ちでいる未来があるなんて、マジで思ってなかったもん笑

ありがとうA.B.C-Z

ありがとうえび座!

ありがとう大金星!

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TDCホールの敷地内のフードコートに「ニュー大金星」ってお店があるの、偶然だったけどテンション上がった!観劇後ひとりで一杯引っかけて最高の気分で帰った笑


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『戸塚祥太 Solo Tour 2024 guerrilla love』感想

※レポではなく、いち個人の感想です

発表されてからずっと楽しみにしていた戸塚さんのソロコン。4日間の中でもご縁があり、初日と最終日に入ることになった。

初日はただただハッピーな多幸感で終わった。会場のいちばん後ろから愛を叫び続け、戸塚さんからの愛を受け取った。最終日を体感した今、初日から続くそのハッピーな気持ちと、曲やセットリスト、演出に込められた想いの重さを改めて感じて、私はとんでもない人を好きになってしまったんだな…と狼狽している心境がない混ぜになって正直少し混乱している部分もある。そのくらいデカいものをガッツリ喰らってしまった感覚。

それはたぶん、"戸塚さんが本当にやりたかったこと"と"私たちファンが観たいと思っていたこと"のバランスをうまく取って作ったステージだったからこその素直な感想なのかも知れないなあと思ったりした。この、手放しに一言「楽しかった!」とは言えない、何とも言えない混乱も、私自身が意図をきちんと汲み取れているってことなんだと思いたい…笑 これが"映画を観た後の気持ち"なのかどうかはわかんないなあ。

 

今回のソロコンで印象的だった点はまず"光"。パフォーマンスは言わずもがなとして、とにかく全編通して照明が良かった。戸塚さんはかねてより歌詞やご自身が綴るブログなどでも、"光"に言及することがとても多い。可視化されている光のことだけではなく、目に見えない輝きだったりを指すことも多いけど、今回のソロコンに関しては"光"の演出もかなりこだわっていたんじゃないかという印象です。

ライブハウスでできる最大限の照明演出だったと思う。意味があり、意志を感じる照明というか。わかりやすく派手なセットを組めないライブハウス規模でも演出にこだわる、事務所のショービジネスに対するイズムを個人のソロコンでも感じられたのが良かった。それを光の演出で表現するのが戸塚さんのソロコンって感じだった!

大阪ではなかったんだけど、『星が光っていると思っていた』の演出。"僕は馬鹿だなあ ずっと 星が光っていると思っていた"で戸塚さんにピンスポが当たったあと、フロア中央のミラーボールに光が当たって、360°に光がパアッと分散して、フロア全体が星空のようになった。その瞬間歓声が消えて、観客全員が息を呑み、みんな光の一部になった。あの空間は本当に美しかった。

『If you don't know break up you don't know love』の演出も光が印象的に使われていた。

ステージに置かれた姿見に光が当てられ、そこに反射した光の中で踊る戸塚さんの画がとても美しく幻想的だった。私は大阪では下手側で観ていたから見えていなかったのだけど、東京では上手側から観ていて、鏡の中のもう1人の戸塚さんも見えた。鏡に映ったご自身の姿を食い入るように何度も何度も覗き込む姿に狂気をも感じた。あの表現を内なる自分自身との対峙と取るか、鏡に映る虚像と現実の対比と取るか、そのどっちもなのか、他にあるのか…今後解説があるならぜひ聞きたいです。去年のえび座で披露した時には、メタファーとして身につけていたものを脱いだりしていたけど、あの頃と意味は少し違っていたのかなあ。

『Replicant,Resistance』の赤い照明も良かった。単純に曲のイメージが赤なのかな、と思っていたのだけど、東京最終日で戸塚さんが、途中歌詞に合わせてか自分の手首のあたりをザクッと切って、その後手首から溢れ出る血を押さえながら、痛みを堪えながら苦しむみたいな表現をしていて、あれは血だったんだ…と思った。こわい…(こわい) この曲もえび座で演ってた時と意味が違う気がする。


ちょっとズレるけどそういう視点で言うと、バチバチに""意味""は比較的感じない(あくまで"比較的")、コンサートでも観たことのあったり、音源化もされているソロ曲が全然違った印象になったのも良かった。『V』『Dolphin』『ドラマ』あたりがそう感じたかな。オケからバンドスタイルになったからなのもあるのか、場所がライブハウスになったからなのもあるのか、観客側がそれに順応していく感じはすごいなと思った。\キャー!/じゃなくて\フー!/になるし、クラップや手をあげたり拳突き上げたりとかになる。戸塚さんに促されてジャンプしちゃうのも良かった。音源のコーラスを一緒にできたのもすごくいい体験だったし、改めて音楽って、"音を楽しむ"ってことなんだなって、当たり前のことを考えてしまった。音楽最高!


今回ポエトリーリーディングを盛り込んだこともあって、戸塚さんが生み出す"言葉"の意味や輪郭がかなり際立っていたのも印象的だった。

『Departed』と『散歩』(※正式な表記は不明、分かったら追記する!)、新曲なんだけど書いたのはもっと前で、ずっとあたためていたって知ったうえでタイトルを聞いて改めて歌詞をよく聴いてみると、作ったのはどのへんの時期って言われなくとも「絶対あの時期やん…」って分かってしまうの、伏線回収の小説やんか…ってなった。特に『散歩』。あの、やたら散歩していたあの時期に、"何で""どうして"にぐるぐると思考を巡らせていたんだなあ。戸塚さんの苦しみもすべて共有されている。『月に行くね、光の連続』に出てくる強いお酒を浴びるように飲んでいた時期も我々は知っているし、ありのままをブログに綴っていたり、発信したりしているんだなって、改めてそれはすごいことだな…と。

そして、私が今回のソロコンに対してずっしりとした重みを感じた部分っておそらくまさにこの部分で。『月に行くね、光の連続』『Departed』『散歩』を並べたの、ストーリーとして意味がありすぎる…"愛が重いこと分かってる"ってサラッと言うけどさあ…


今回のソロコン自体が"総決算""清算"の意味があったのもあるけど、戸塚さんは撮影可能曲の選曲も含め、過去に積み上げてきたものを全部その場限りと捨てずにまるっと大切に持って進んでいく人なんだなと思った。私は新規も新規なので、映像でしか観たことのないもの、伝え聞いた話でしか知らないこともたくさんあって、悔しいと思う部分が正直あったりはするんだけど、今から追ったとしても感じることができることが多い。なぜなら全部そこにあるから。

それは時に恥ずかしいことだったり、苦しみを伴うことだったりするし、普通はそこから逃げたり、遠ざけたりするもんだけど、戸塚さんはそれをしない。傷口を押さえながら、血を流しながら歩くし、それを隠そうともしない。全部作品や言葉に込めて進む人だと思う。…こんなこと言っててソロコンが終わってすべて清算されちゃったらどうしよう笑 ブログ読む限り大丈夫な気がするけど笑

これまで内に溜め込んでいて、グループでの活動やコンサートだけでは解放できなかった、重たい部分を含めたすべてをソロコンで全解放する。それが今回この4日間でできたのかもな、と感じました。心から楽しそうな、幸せそうな表情から伝わってきました。本当に良かったな…。そしてこのソロコンを走り切った戸塚さんが、今度はA.B.C-Zのコンサートでどう魅せてくれるのかがまた楽しみになった。

A.B.C-Zというグループを愛し、尊敬し、世界一カッコいいと思っている戸塚さんが、このタイミングでソロコンができてよかったと心から思う。やりたいことをやっている人間はいくつになっても輝きを失わない。戸塚さんは私の光で、誇りです。

 

 

"僕が彼に対して出来ることは、今までも、これからも、僕が光ることしかない"

(2023年12月22日 guerrilla loveより引用)

戸塚さんの放つ光が届きますように。届いていますように。

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