あなたは夢、あなたは光

guerrilla loveさん観測所です。主に戸塚祥太さんの舞台の観劇記録を書いています。

舞台『夜曲〜ノクターン〜』観劇記録

観劇日

6月10日(昼) @ 大阪 松竹座

6月10日(夜)

6月11日(昼)

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歌舞伎の公演などが多いイメージだけど、外観は意外にも洋風ですてき。建て替え等を経ているということもあるんだろうけど古さをほとんど感じない。

最近のホールにはあまりない直線的な内装のデザインも、提灯が並んでほんのり紅く照らされた壁も、異空間って感じでドキドキする。あと桟敷席って座ったことはないんだけどキュンとするよねえ。角度ついてるから観やすそうだな。どうなんやろ。

 

夜曲の初演は1986年。塚ちゃんも戸塚くんも(私も←)同じ歳なんですね、すごい。不思議な縁を感じた。いろんなキャストで何度も演じられてきた名作を今回大好きなひとたちのW主演で観劇できて良かったです。なかなかないことなんじゃないかな。

三階席でも五関くんの少し高めの声は声量を抑えてもよく通るし聞き取りやすく、声を張り上げても威圧感を感じないし耳当たりが心地よいのすごいと思う。素人目からしてもとても舞台向きの声だなと思う。成人男性なのにすこし幼さも含んだ発声なので、ツトム役にぴったりだった…!

対して戸塚くんは声量と抑揚で聞かせる感じ。「自分の声はボワっと広がりやすいから発声、特に語尾の発声を気をつけている」ってのどの窓(ラジオ)で言ってたけど夜曲はそれがめっちゃ分かった。五関くんと比べると低めだから広がりやすいのに、ピシッとドシっと締まって聞こえた。

歌舞伎・演劇の世界|松竹株式会社

ジャニーズ×AKB×宝塚×歌舞伎×小劇場、のエンタメ異種格闘技って感じのおもしろいキャスティング。でも不思議とまとまっているのがこのカンパニーの持つ力だなあと思う。それぞれ違う畑で生きてきた人たちが、同じ気持ちでひとつの作品を作り上げて届けてくれた。舞台観劇の醍醐味って感じ…!

あらすじ

気弱な新聞勧誘員のツトム(五関晃一)は放火魔。ある夜、彼は幼稚園の廃墟に放火する。そこに現れるサヨ(兒玉遥)という少女。サヨはツトムがマッチを擦ると必ず現れる不思議な少女で、話すのは今夜が初めてだった。ツトムが幼稚園の廃墟を放火したことをなぜか喜ぶサヨ。すると、焼け跡から十五(戸塚祥太)と名乗る武士が現れる。十五は700年前に、主君である早川家のお世継ぎ・虎清を守るために悪霊・玉野尾(愛原実花)と戦い、その呪いによって長い眠りに落とされていたという。さらに次々と現代に蘇ってくる700年前の武士や姫たち。玉野尾は深い恨みから虎清の失墜を狙い、虎清とその許嫁・千代姫(相楽伊織)の婚約を破棄させるべく、家来の黒百合(河合雪之丞)を虎清の元に送り出す。

時代を超えた勢力争いに巻き込まれたツトムは一体どんな選択をするのか…。

公式フライヤーより引用

 

全体を通して「善とは?悪とは?」をずっと問われているような作品だった。

終始"自分は善人である"というような振る舞いをしている、五関くん演じるツトムは放火魔というれっきとした犯罪者だし、悪霊と戦い、主君を守り忠義を尽くそうとしている戸塚くん演じる十五は、千代姫を殺害しているし…

"正義"は多面的であって揺らぎやすく、一面を見ただけで判断するのにはとても危うい概念だと思います。ツトムの言うような"分かりやすい正義"なんてものはほとんど存在しないんじゃないか?とすら思う。

特にツトムの倫理観には疑問で、「人殺しなんて!」とまともなことを言っているようだけど、自分は「それに火は綺麗だし、」とか言って放火やってる時点でアウトなんだよな…でもだからと言ってツトムは悪人なのか?って言われると違う、と言いたくなるし…

ツトムの罪に関しては、中盤で一度だけ出てくる放火仲間のゴロウさんとの対比がとても印象的。というか、観客である私自身もゴロウさんがいなければ、放火自体を舞台上の演出とかツトムのキャラ付けくらいの軽い気持ちでしか見れなかったかも知れない。同じ罪を犯しているのに、その罪への向き合い方というか捉え方というか、"覚悟"みたいなものがまるで違っていた。ツトムはたぶん嗜好品みたいに、やめようと思えばいつでもやめれると思ってるよね?ゴロウさんはその域で放火やってないもん…犯罪だということも、自分が病的に火を求めているのも、それが分かっていても今更やめられない苦しさの中でもがきながら生きてる。

「正義の味方というのは味方するだけだ、正義に味方するだけで正義ではない」とその実悪よりも血に手を染めていることを自分で認め、それを抱えながら生きている十五とも重なる部分がある。何ていうか…ツトムには自分の人生の重みみたいなものを感じないんですよね。だからこそ火を付けてしまう弱さを持っているんだろうと思うんだけど。主人公になれる(なった気がする)のは火を大きくした時だけで、いつも自分は蚊帳の外。スポットライトを浴びられない閉塞感から解放されるのが唯一火を付けた時だけなんだろうな。火の中にしか自分の居場所を見られない。なんて哀しい男なんだろう…でも人とコミュニケーションが全くとれない、みたいな暗い性格の人間でもなさそうだし、この一夜の出来事がツトムにとっていい影響を与えてくれたらいいな、と思う。ツトムは唯一の居場所であり、心安らぐ時間の相棒だったマッチを手放してまで、この物語の主人公になろうとしていたのに、結局は「また蚊帳の外だ」と思ったのかも知れないけど、この夜に限っては"700年前の物語を再び始め、そして終わらせた"という思わぬ大役を担っていたと思う。

ハレー彗星が再びこの星に近づく時は76年後。ツトムは100歳。まだ生きていて火をつければ、また物語が始まるのかも知れない。でも、おそらくその日は来ない。ツトムがこの物語の主人公になる日はもう来ない。だけど生きていかなきゃいけないのだから。


ファンタジーでありながらシリアスなテーマのこの作品。初見では、序盤の所謂"笑い"のシーン、ツトムと十五が親交を深めたり、祈祷師が呪いを解いたり、玉野尾がサヨに呪いをかけられたりするコメディパートがなんだか浮いて見えて、「これ笑かす必要ある…?」って否定的だったんですが、三度目の鑑賞時には、あのコメディパートによって意図的に生み出された緩急があるからこそ、終盤にかけての十五の陰の部分が色濃く深くなって、観ているこちらの心を容赦なく抉ってくる…というのが分かりました。幕間挟んで2幕に分かれてたらまた感じ方が違ってたと思うので、分断せず地続きでやってもらえてよかったと思う。

(ただ、A.B.C-Zのおたくしか楽しめないような内輪ネタが一部多かったのは最後までかなり気になった。おたくの私は楽しいけれど、他のキャストのファンとか一般の方はどう感じたのかな?とは思う)

何と言っても戸塚くんの目の演技が本当に凄かった。現代に蘇った武士である十五が、自分が生きていた時代にはなかったコーラやタバコにはしゃいだり、自信を持つようツトムを諭したりと、明るくて強くて優しく主人想いの人物として描かれていた前半と打って変わって、後半は自らの背負ってきたものや出自の卑しさに起因するコンプレックスを露わにする。十五が千代姫の身代わりを問い詰める瞬間から、別人のように目の表情が変わり、殺意を滲ませるさまに心底ゾッとした。あんなに…あんなに楽しかったのにッッッ!!!

「善き友人と出会えた」という十五のセリフもあるが、所詮は友達ごっこに過ぎなくて、そもそも生きる時代が700年も違うのに価値観など合うはずもなく…とても滑稽で物悲しい話だ。

ツトムの対極の人物として十五を描いていたと思うのだけど、十五も十五でツトムとはまた違った悲哀を持った人物だったと思う。彼もまた、自分の人生を生きていない。ただ、ツトムとはちょっと違って、時代背景によるものがかなり大きいと思う。当時は身分による差が大きく、生まれた家によって諦めなければならないことが多かったんだと思う。すべてが運命によるものだと母親の言いつけ通りに生きる人生。主君である虎清の目を覚まし、千代姫と無事に祝言を挙げて先代の意思を継ぐこと。戦う力を持たない彼の側にいて刀を持ち、お守りして生きること。現に、700年後に飛ばされたことを知った時、どうすればいいのか途方に暮れていた。生きる目的がなければ生きていくことさえできないのだ。虚しすぎる人生…しかも虎清が死んだことでそれすらもなくなってしまったうえ、故意ではなかったとはいえ謀反の手を下してしまったのは他でもない自分自身である。生きる目的を失った虚ろな目で黒百合に刀をふるい、最期は千代姫と同じように喉を刀で貫かれて死んでいく。きっと言葉を紡ごうとしたところで、滴る血と共に地面に吸い込まれていったのだろう…凄まじい皮肉だ。

そしてその全てが炎とともに葬り去られ、星の光も遠ざかっていく…

 


なぜこの作品のタイトルが"ノクターン"なのか疑問に思ってたんですが(劇中に使われる曲がショパンノクターンだということも含めて)、ノクターンを和訳すると夜想曲、さまざまな解釈はあれど「ああ、あの夜は楽しかったな」と"(過ぎ去った)夜を想う曲"なんですね。ツトムにとってあの夜は特別で、きっと生きている間にはもう過ごすことはなくて、この先幾度も繰り返し想う夜なんだろうと思う。

ええッッ…タイトルめっちゃおしゃれじゃぁん…(アホの感想)

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ここからは感想でもなんでもないただのお気持ちなんだけども。

正直なところ、元々出演予定だった塚ちゃんのおやすみが発表されたと同時に代役が戸塚くんに決まった日から私が観劇する日まで、切り替えという切り替えが完全には出来ていないような心境でした。元々観に行く予定でFCチケットは申し込んでいたものの、「塚ちゃんと五関くんのW主演のチケットを申し込んだのに…」という気持ちも完全には拭えず(代役が他Gの人やその他の人ではなく自担になったのに)、加えて、戸塚くんがつい1週間前まで演っていたBACKBEATの世界が好きすぎて、余韻に浸る時間が短すぎて情緒もなにもないじゃん…っていう…笑 まあ、これは完全に完璧に私個人の気持ちの問題!

でも実際観劇したら、代役であるということはしっかりと念頭に置きながらも(大楽後のブログにも一貫して代役であることを記していた)、戸塚くんなりの十五を熱演していて、もうそんな個人的なモヤモヤなんて吹っ飛びました。BACKBEATの上演と並行して、ここまでの作品を稽古してたなんて…凄すぎる。点数つけるわけじゃないけども、代役としても百点満点以上でしょう…改めて戸塚祥太の凄さを感じたし、尊敬の気持ちが増しました。やっぱ好きだわ戸塚くんのお芝居…

とは言え、あの十五を塚ちゃんだったらどんなふうに演じていたかな?と思う気持ちは観劇中もずっとあったし、それを観たい気持ちは全然変わらないので、いつか絶対に再演して欲しい…特に普段ぴかぴかの"陽"の要素が強い塚ちゃんが演じる十五の"陰"はどんなふうかな…想像だけでドキドキする。

 

青×黄色×ピンクでコーディネートして、浴衣で松竹座公演の観劇に行けて良かった(雨だったけど)